「1945年8月、もし日本が1発でもアメリカにとどく核兵器を持っていたら、広島長崎に原爆を落とすことはなかったでしょう?」外交評論家の加瀬英明さんがニューヨークタイムズの社主に招かれたとき、トルーマン大統領の会議に出ていたジョン=マッケロイに聞いたところ、なぜそんな当たり前のことを聞くのだと答えたという。加瀬さんはそれ以来「核兵器というのはお互い持っていれば使われない兵器になるが、片方だけ持っていれば使われる兵器になる。」ということを言っておられる。
 
日本が核武装していれば北朝鮮も中国も日本に軍事的恫喝を加える事はできない。核武装国にケンカを売った国はいまだかつて存在しないのだ。センカクを狙われたり沖縄や対馬を狙われたりするのは、軍事的空白を作っている日本自身の責任でもあるのだ。
 
1947年以来インドとパキスタンでは紛争が続き、1998年、インドが核実験をすると、パキスタンも慌てて核実験で対抗し、インドもパキスタンも核保有国になった。そして世界がインドとパキスタンの核戦争を危惧したが、抑止力が働き、紛争は収まったのだ。
 
北朝鮮と中国とアメリカの意向だけで日本がガタガタ震えている。情けなくないのか。
フランスが核武装に踏み切ったのも、核を手にしていないフランスは結局のところアメリカの覇権の前に屈するしかない、それではフランス民族の栄え多き歴史を子孫に継承させることができない、という判断に立ってのことだった。
 
核を怖がるヘッピリ保守派は核よりすごいものを発明すればいいとか絵空事を言って逃げているが、結局「核に対抗できるのは核だけである」という事実はどこまでも残る。国家の発言力どころか名誉と品位、独立性までもが「核」の有無によって左右されるのだ。